ハマグリは江戸時代の旅ガイドに載るご当地グルメだった!

「その手は桑名の焼き蛤」。江戸時代のガイド本『東海道中膝栗毛』や、食通で有名な小説家、池波正太郎の『鬼平舌つづみ』にも出てくる桑名のハマグリは、むかしから「その手は食わぬ」に引っ掛けた語呂合わせで使われています。

ひな祭りや婚礼祝いのご馳走として今でも重宝されているハマグリは、昔から日本の人々になじみ深い海産物です。今回はそんな「語呂合わせ」にも食材にも、そして工芸品としても使われているハマグリをご紹介します。

(東海道中膝栗毛 焼きハマグリを売る屋台)

ハマグリはどんな貝?

(左:ハマグリ 中:チョウセンハマグリ 右:シナハマグリ 提供:熊本大学)

ハマグリは、マルスダレガイ科 ハマグリ属の二枚貝です。マルスダレガイ科 にはアサリも属しており、500~800種類の大きなグループです。

日本のハマグリは、有明海、伊勢湾、東京湾など波が静かな内海の砂浜に生息する「ハマグリ」と、九十九里浜のような波の荒い外海に面した砂浜に生息する「チョウセンハマグリ」がいます。
どちらも古くから日本にいる在来種で、多くの貝殻が縄文時代の地層や貝塚から見つかっています。古来より、大事な栄養源として日本人はハマグリを食べていたのです。

(ハマグリの国内漁獲量と輸入量の推移 政府統計をもとに作成 輸入量は2003年以前の公開資料なし)

上の表は、国内のハマグリの漁獲量と輸入量の推移を示したものです。
ハマグリは1950年代中頃には、平均1万6千トンも漁獲されていました。ところが1962年をピークにどんどん減り始め、2007年以後は1千トン以下に減ってしまったのです。そのため今では「その他貝類」にまとめられ、ハマグリ独自の統計はなくなってしまいました。

現在は、国内販売の9割が輸入の「シナハマグリ」でまかなわれており、その数さえも年々減少しています。

ハマグリを使った工芸品

(美しい絵が施されたハマグリの殻)

ひな祭りや婚礼のご馳走、おせち料理では、ハマグリのお吸い物をいただく習慣があります。ハマグリの貝殻は、対になった貝殻でないとぴたりと合わないため、「良縁に巡り合えますように」「仲の良い夫婦になるように」と、縁起ものとして、身とともに貝殻のほうも使われるようになったのです。

平安時代にはハマグリの内側に美しい絵を描き、ペアを探す神経衰弱のような遊びがはやりました。この絵のついた貝殻を収める入れ物を貝桶(かいおけ)といい、当時は嫁入り道具として嫁ぎ先に持っていったそうです。またハマグリの貝殻は、薬入れや女性の口紅入れとしても使用されていました。

(ハマグリの碁石)

碁石で白石の最高峰と呼ばれる石は、ハマグリの貝殻で作られています(普及品はプラスチック成型品)。碁石の原料にできるハマグリの貝殻は、なんと10歳以上の個体で、直径20cmに及ぶ大きなものが選ばれます。古くは三河湾、伊勢湾、日向灘が主産地でした。ちなみに黒石は、三重県熊野の石、那智黒石が最高峰とされています。こちらは貝ではなく、本当の石です。他にも白い石はあるはずですが、縞目や乳白色の美しさ、手馴れする重厚感などから、あえてハマグリの殻を使用しているそうです。

ハマグリが含まれる言葉

ハマグリの名前の由来は、コロンとした丸い形が栗に似ていることや、小石を「ぐり」と呼んでいたために「浜のぐり」からハマグリとなったなど、いくつかの説があります。 そのほか、ハマグリに関連する雑学をご紹介します。

(手のひら大の大きなハマグリ)

「素行が悪くなる、不良になる」という意味で使われる「グレる」は、ハマグリが由来です。ハマグリを逆さにした「ぐりはま」という言葉には「食い違う」「あてが外れる」の意味がありました。それがいつの間にか「ぐれ」と略され、さらに動詞化して「ぐれる」となったのです。江戸時代から使われている言い回しです。

「ハマグリは一夜に三里はしる」。三里は約12キロで、東京駅からでは直線距離で葛飾区亀有駅あたりになります。実際にハマグリは引き潮時に、水管から粘液を出して潮の流れに乗り、1分間に約1メートルという速さで移動します。三里はおおげさでも、それだけ素早くハマグリが移動しているということです。

食べてよし、使ってもよし。日本人は古くからハマグリを食材としてだけでなく、生活や文化にも取り入れてきました。浜辺を歩いているときに、ピカピカときれいで、手に持つとずっしりと存在感があるハマグリがゴロゴロあれば、何かに使いたくなる気持ちはとってもよくわかりますよね。
ハマグリを食べたあとは、貝殻アートなどに利用してみるのも一興かも?