(旧)大洋漁業(現マルハニチロ株式会社)の資料によると、昭和35年(1960年)時点で、大洋漁業は771隻の漁船船舶を保持していました。
総トン数にすると190,639トンにのぼります。
トロール船や手繰り船、北洋母船、マグロはえ縄船、運搬船など、実に多岐にわたる船が活躍していました。
世界中のいたるところの洋上に日本のさまざまな船が散らばっていたのです。
日本の水産会社はなぜ巨大なのか?
日本の企業はかつて、多くの漁船と船員を抱え成り立っていました。
大型の漁船や洋上で加工する母船などに大きな夢を乗せ、世界中に進出していったのです。
ところが、1977年に200海里漁業専管水域が設定されると、それまで世界中で活躍してきた日本の漁船は、次々と行き場を失っていきます。
一部の漁船はニュージーランドや米国などで操業を続けましたが、ほとんどの企業は減船への対応を余儀なくされました。
その後、国や漁業関係者のさまざまな努力、また、さまざまな取り組みもあって、日本の漁業は今に至ります。
かつてのような巨大漁業会社を再興することは難しいでしょう。
200海里の設定以前から、どこの国も自国の漁業を優先し、他国の遠洋漁業を排斥する傾向になっていました。
漁業の途上国も、自国に漁業の技術や手段を取り込み、それが終われば徐々に排除する動き(フェーズアウト)を徹底し始めたのです。
また、排斥だけでなく、漁業をする権利と引き換えに、乳製品などの輸入を求めたり(ニュージーランド)、自国で輸入した水産物を買うよう求めたり(米国、ニュージーランド、カナダなど)と、政治や外交をからめて、日本に対して見返りを求めました。
自国の資源管理を徹底=他国は漁業ができない、ということになります。
世界中に散らばっていた日本の漁船も、当然、衰退していきました。
200海里の設定を機に、以前の日本企業のように、世界中で漁業を行う会社はできにくい環境になってしまったのです。
かつては陸から3マイル(海里)の範囲を除けば、世界中の海で比較的自由に漁業ができた時代もありました。
しかし時の流れとともに、各国から漁獲量を制限されたり、漁業をするために入漁料が必要となったり、水産物の買い取りを求められたりと、日本を取り巻く環境は非常に厳しいものとなっていきます。
もちろん日本だけの話ではなく、世界の国々にも当てはまることです。
1977年に200海里の漁業専管区域が設定されてから約40年。
いま米国やオセアニア、北欧の国々では、自国の水産物資源を持続的(サステナブル)な水産資源へと、舵を切り始めています。
限りある水産資源を維持するために、日本の海の未来のために、進むべき方向を決める時がきているのかもしれません。