日本の水産会社はなぜ巨大なのか?

日本の水産会社はなぜ巨大なのか?

世界の水産会社(商社・総合食品会社含む)の売上高ベスト10。
実はランクインされている企業の半分は、日本の会社なのです。
たしかに日本は昔から漁業の国というイメージがありますよね。
でも一体なぜ日本には、規模の大きな水産会社がたくさんあるのでしょうか?
そこには皆さんがあまり知らない、歴史的背景と日本の事情がありました。

昔から優れていた日本の漁業

日本の漁船は昔から優れていて、戦前(1936年~)からベニザケの世界有数な漁場として有名な米国のブリストル湾にまで、はるばるサケ漁へ行っていたほどです。
200海里漁業水域が設けられている今では想像もできませんが、当時は沖合3マイルの外側は公海。
このため、岸から見えるような湾に入って漁をすることも可能だったのです。
当時、日本の漁船はJapanese Invasion(Invasion=侵入)といわれ、海外では恐れられていました。

第二次世界大戦後の日本漁業の躍進

戦後になると、極端な食糧不足を補うために、次々に漁船が建造されて世界の漁場を開拓していきます。
1952年にサンフランシスコ平和条約が結ばれると、戦後、日本漁船の活動を制限していたマッカーサー・ライン(日本の漁業及び捕鯨許可区域)が撤廃され、日本の漁船は再び世界の海に進出していきました。

ところが1977年に、米国、ソ連、ヨーロッパの国々などが200海里漁業専管水域を設定します。
この200海里漁業専管水域は、1945年にトルーマン米大統領が行ったトルーマン宣言に端を発するといわれています。
世界中の海で躍進していた日本の遠洋漁業にとって、大きな転換が迫られたのです。

世界に広がるネットワークが
巨大な水産会社を維持している

200海里漁業専管水域が設定されると、必然的に日本漁船の漁場は狭められてしまいました。
しかしながらアラスカ(アメリカ)、ニュージーランドをはじめとした地域では、それまで依存していた日本の漁船、日本の水産に関する技術や市場がなくなると困ることになりました。

一方、水産にかかわる人々を大勢抱えている日本の企業も、漁業の縮小は死活問題。
そこでジョイントベンチャー(企業提携)のように形を変え、日本の人員や漁船、さらには水産技術を各国に伝えることで活路を見いだしました。
そして、その一部は現在も継続しています。
世界で売上の大きな水産会社のベスト10に、日本の会社が半分も入っているのは、1977年に200海里漁業専管水域が設定される以前に、世界中の漁場を開拓していたことが大きく影響していたといえるでしょう。

このサイトで紹介しているダッチハーバーの陸上工場などは、1986年当時、米国からの要望にもとづき建てられたものです。
そして今も引き続き、アラスカから日本にすり身やカニなどの水産物を供給し続けています。
日本の漁業は、世界情勢や近代化に対応しながら、脈々と未来に続いているのです。