アラスカ、アリューシャン列島、ダッチハーバー。
日本から遥か北の彼方にある島ですが、そこで大量に水揚げされているスケトウダラ、マダラ、ギンダラ、ズワイガニ、タラバガニ等を、知らず知らずのうちに食べている機会は少なくないはずです。
1977年に200海里漁業専管海域が設定される以前は、アラスカ沖で日本の大型母船(船内に加工場や凍結庫を持つ)や漁船が操業していました。
かつて漁業に従事した日本の企業はどれほどの規模だったのか?
しかし200海里の設定と共に、環境が変わりました。
日本の漁船は、それまでのように自由に漁獲できなくなったのです。
一方で、米国側は肝心の漁船や水揚げする膨大な量の魚を処理する設備が十分にありません。
そこで、1986年と1987年に1社ずつに米国側の依頼で、日本の水産会社による水産加工場が建設され操業することになりました。
ダッチハーバーには、スケトウダラからタラコを取り出したり、スリミを作ったりする大きな工場が4つあります。
日本から遠く離れたアラスカで、日本向けにも美味しい魚の素材を輸出すべく、日々奮闘している人たちがいます。
とても豊かな自然環境の中、工場では様々な国の方々が働いています。
水揚げは、1年中忙しいという分けではなく、漁獲量が漁獲枠として厳格に決められているので、それぞれの魚種にシーズンがあり、冬と夏にスケトウダラ主体に大量に水揚げがある時期以外は、水揚げも比較的少なくなり、働きに来ている人も、米国本土の住み家に帰って行くというパターンが少なくないようです。
工場に隣接する事務所の廊下には、地元の子供たちのものでしょうか、魚の作品がたくさん貼ってありました。
ダッチハーバーは、水揚げシーズンになると米国本土から色々な人が集まってきます。
日本からのアラスカ駐在者や出張者は、現場に溶けこみ身振り手振りを交えながらコミュニケーションを図ります。
そして、時間の経過とともに自然と馴染んできて、心が通じ合うようになり、業務もスムーズに進行するようになるのです。