若狭街道(通称:鯖街道)
若狭街道(通称:鯖街道)
【ルート】福井県小浜市~滋賀県高島市~京都府京都市
福井県南西部に位置する若狭は、北に若狭湾を臨み、南は京都へと続く山間部という、海の幸や山の幸に恵まれた地として知られています。
若狭街道の起点となる小浜に位置する「小浜港」は江戸時代、北前船が運んだ物資や、日本海の冷涼な気候が育んだ豊富な魚介類の水揚げで賑わいました。それらは山々を越えて京の都へと運ばれたのです。
京へのルートはいくつかありますが、代表的なのは小浜から熊川、滋賀県朽木、そして花折峠を越えて、京都府大原から出町に入る「若狭街道」。若狭ではよく「京は遠ても十八里」と言われ、その道のりは約80km。今なら車で2時間たらずの道のりを、行商人たちは海産物を入れた籠を背負い、一昼夜かけて深い山あいの道を歩いたのです。
海産物の中で多かったのは、当時圧倒的な漁獲量を誇った鯖。慶長12年(1607年)、小浜藩主・京極高次が流通の拠点として整備した小浜市場について書かれた『市場仲買文書』には、「生鯖塩して担い京行き仕るに候」という一文があり、これが鯖街道という名称に由来すると言われています。
朝獲れた鯖は、ひと塩されて運ばれ、京に着く頃には身も締まり、ほどよい味加減となって都の人々の食卓を賑わせていたのです。
しかし、実は若狭と鯖をつなぐ歴史はさらに古く、奈良時代にまで遡ります。若狭は天皇に捧げる「御贄(みにえ)」を供給する「御食国(みけつくに)」でした。平城京より出土した木簡には、若狭から朝廷へと送られてきた、魚を米飯とともに漬けて発酵させた「なれずし」の文字も見られ、鯖も運ばれていたと推測されています。
鯖は都へ運ばれる一方、地元の豊かな食文化も育みました。若狭で一般的な鯖の食べ方としてあげられるのが、鯖を一尾まるごと豪快に串に刺して焼いた「浜焼き鯖」。夏場に傷みやすい鯖を保存するために考え出されたと言われています。普段もさることながら、行事にも欠かせない一品で、赤飯と一緒に食べるのだそうです。遠火でじっくり焼き上げた鯖は、こんがりパリッと焼けた皮が香ばしく、身はふっくら。しょうが醤油をつけて食べると、箸がとまらなくなる美味しさです。
残った身はおつゆにしたり、焼き豆腐と一緒に煮付けたり、ほぐしてちらし寿司に入れて等、多彩な食べ方で楽しまれています。
若狭では、「生き腐れ」と言われるほど足が速い鯖の鮮度維持のために、独自の加工技術も発達しました。代表的なものが「へしこ」(鯖のぬか漬け)です。1年間ぬかに漬けこんで完成したへしこは、コクと旨みが凝縮されて、ごはんのお供にも酒の肴にもなります。
酢で締めた鯖を棒寿司にした「鯖寿司」も、若狭では欠かせない伝統の鯖料理。そして京都の食を語るときにも欠かせません。今もなお、京都では葵祭のときに鯖寿司を食べる習慣が残っています。かの北大路魯山人も、若狭の鯖を使った京の鯖寿司を絶賛しています。京都の豊かな食文化の発展にも、若狭の鯖は貢献してきたのです。
福井県小浜市・若狭町の若狭街道周辺は2016年、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食国若狭と鯖街道~」として日本遺産に認定されました。今も昔ながらの面影を残す、街道の要所だった「熊川宿」を散策したり、2020年3月にオープンした「小浜市鯖街道ミュージアム」で鯖街道の歴史や若狭地方の文化にふれ、美味しい鯖料理を堪能してみてはいかがでしょうか。
小浜市鯖街道ミュージアム
https://www1.city.obama.fukui.jp/category/page.asp?Page=77
(文 薬膳アテンダント/ 全日本さば連合会広報担当サバジェンヌ 池田陽子)