水産業は今、大きな転換期を迎えています。世界的に持続可能な食料供給の重要性が高まっており、水産資源管理への関心も強まっている中、計画的な生産が可能な養殖が注目されているのです。
マルハニチロは2017年から、山形県遊佐町のマルハニチロ中央研究所 遊佐陸上養殖試験場でサクラマス(Oncorhynchus masou masou)の陸上養殖試験研究に取り組んでいます。
本記事では、同試験研究に注目し、マルハニチロが取り組む安定した供給を可能にするための養殖技術の研究や、サクラマスの価値創造に向けた挑戦をご紹介します。
(遊佐陸上養殖試験場で養殖されたサクラマス)
まず、陸上養殖について説明します。海で行う海面養殖とは異なり、陸上の施設で魚を育てる養殖方法です。
この方法には多くのメリットがあります。たとえば、赤潮や台風といった自然災害の影響を受けにくく、水温や水質を任意に管理できるため、養殖対象魚の飼育管理体制や品質を保ちやすい点が挙げられます。また、環境負荷の低い配合飼料の使用や残餌も回収できること、寄生虫のリスクもないことなどから環境にもやさしく、安全性にも優れていると同時に、トレーサビリティ(生産から流通までの履歴を追跡できる仕組み)を確保できます。
また、「閉鎖循環養殖システム(RAS:Recirculating Aquaculture System)」と呼ばれる仕組みは、水槽内の水を循環・浄化しながら使用し、安定した水質での養殖を可能にするとともに排水を少なくすることで環境負荷を最小限に抑えることができます。
(閉鎖循環養殖システム:イメージ図(上) 実際の水槽(下))
マルハニチロは、この陸上養殖技術を用いて、サクラマスの養殖を行っています。
サクラマスはサケの仲間で、日本の在来種です。
日本ではサケの仲間はシロザケやベニザケのように「サケ」と呼ばれる魚と、サクラマスやカラフトマスのように「マス」と呼ばれる魚に大きく分かれます。どちらもサケ目サケ科の魚であり、分類学上の明確な違いはありません。海外では一般的に、成長にともなって海に下る(降海する)種類をサケ(salmon)、一生を川や湖など淡水で暮らす種類をマス(trout)として区別します。一方、日本ではサケとマスの区別は明確ではなく、サクラマスも名前に「マス」とつきますが、海へ下る降海性の魚です。
また、渓流釣りで親しまれているヤマメという魚をご存じでしょうか。実はヤマメとサクラマスは同じ種の魚です。川に残ったまま一生を過ごす個体をヤマメ、1〜2年間川で過ごした後に海へ降り、約一年後大きく育って産卵時に生まれた川に戻る一生を送る個体をサクラマスと呼びます。以下のイラストをご覧ください。
((スモルト化: スモルト化前(ヤマメ)と後(サクラマス)の比較イラスト(上) サクラマスの一生(下))
なぜ同じ魚でも、これほどまでに見た目が大きく変化するのでしょうか?
このサクラマスの体の変化は「スモルト化(銀毛化)」と呼ばれ、川で生まれたヤマメが海水環境に適応するための生理的変化であり、サクラマスとして海へ下るために不可欠なプロセスです。
具体的には、パーマーク(体側の斑紋模様)が消えて体色が銀色になり、ヒレの先が黒くなります。体長も、ヤマメは約30cmほどなのに対し、サクラマスは70cmにまで成長します。ですが、すべてのヤマメがこのようにスモルト化するわけではありません。生まれてから約1年後にスモルト化した個体だけがサクラマスになりますが、これは環境や遺伝的な要因が複雑に関わっていると考えられています。
サクラマスはスモルト化後、銀色の体色になり海を回遊しますが、産卵のために再び川を遡上する時には体色が鮮やかな桜色に変化します。サクラマスという名前は諸説ありますが、この桜色の婚姻色や、川を遡上する時期が桜の開花時期と重なることに由来するとされています。
マルハニチロのサクラマスの陸上養殖は、山形県遊佐町で行われています。遊佐町は庄内平野に位置し、鳥海山のふもとから日本海に面する自然豊かな町です。
なぜ遊佐町でサクラマスの養殖を始めたのでしょうか。
(山形県遊佐町マルハニチロ中央研究所 遊佐陸上養殖試験場)
その背景には、地域の文化が深く関わっています。サクラマスは山形県の県魚に指定されており、鱒のあんかけ(煮たサクラマスに韮とあんかけを添えた料理)などの郷土料理にも使われる春の代表的な魚です。特に遊佐町はサケが遡上する月光川水系に位置しており、古くから「鮭の町」として知られ、魚と地域の結びつきが深い場所です。
(鱒のあんかけ)
現在、陸上養殖で一般的なトラウトサーモンやアトランティックサーモンは、もともと日本には存在しない外来種です。こうした背景から、国内で親しまれてきたサケを再興させようという想いのもと、在来種(もともと日本に生息する種)であるサクラマスを、古くから関わりの深い遊佐町で養殖する取り組みが始まりました。
(遊佐陸上養殖試験場の水槽を泳ぐサクラマス)
また、マルハニチロはこの遊佐陸上養殖試験場で、サクラマスを育てるだけでなく、より美味しく、育てやすい品種にする研究も行ってきました。
その鍵となるのが「完全養殖」と「育種」という技術です。
まず、完全養殖とは、人工ふ化から育った親魚が産んだ卵を再びふ化~稚魚~成魚まで育てる養殖技術です。このサクラマスの完全養殖を確立することで、天然資源に頼らない持続可能な養殖が可能になります。
(完全養殖流れ)
次に、育種は優れた形質を持つ生物同士を交配させ、目的に合った新しい品種を計画的に作り出す技術です。たとえば、天然の個体群から成長が早い個体を選抜し、それらを掛け合わせることで、次世代には遺伝的により早く成長する個体が増えます。これを繰り返すことで、サクラマスの成長期間(通常3〜4年)を1年半にまで短縮することに成功しました。また、人に慣れやすい個体を選抜することで、次世代では人を恐れずに餌を食べる個体を増やすことができています。
完全養殖と育種を組み合わせることで、成長が早く、より美味しく、育てやすいサクラマスの持続的な生産が可能になります。現在、育種は第4世代まで進んでおり(天然の個体から育種による世代交代を4回繰り返した状態)、今後もさらなる改良を進めていく予定です。
さらに、照明の点灯時間や飼育水温を調整することで、室内でありながら親魚に季節の変化を感じさせ、年に複数回の成熟・産卵を促す研究も行っています。これにより、陸上養殖ならではの一年を通して生鮮のサクラマスを供給できる体制づくりも進めています。
(日照時間の調整設備)
このように遊佐陸上養殖試験場では、サクラマスの安定供給を実現するために、陸上養殖技術と様々なノウハウを蓄積してきました。
そして、これからは試験研究と並行して新たにサクラマスにどのような付加価値を付けて、どの市場で広めていくのかという「マーケティング」と「ブランディング」のステップに入ります。その一例が、2024年から始まった「食育」の取り組みです。山形県の県魚でありながら、県内の需要に供給が全く追い付いていないことから多くの子供たちはサクラマスを食べたことがありません。そこに着目し、試験場で養殖されたサクラマスを地元の遊佐町立遊佐小学校等の学校給食用食材として無償で提供することにしました。地域の子供たちが文化の大切さや自然に目を向けるきっかけを生み出し、地域の食文化の継承にもつながるとともに、未来のお客様の創出にもなります。
(遊佐町立遊佐小学校に提供されたサクラマス:献立(左)給食を食べる生徒(右))
サクラマスは一般にもよく出回るトラウトサーモンやアトランティックサーモンなどと比較するとまだまだ知名度は低いですが、とても美味しい魚として知られています。その身はピンク色で美しく、脂ののりや旨味成分が豊富でありながら、繊細で上品な味わいです。伝統的な食文化では火を通して食べられることが一般的でしたが、今後は陸上養殖により通年での生鮮水揚げが可能となる可能性も高まったことから、寄生虫のリスクがないという陸上養殖の利点を活かし、刺身などの生食での展開も期待できます。
(サクラマスの刺身)
今回は、サクラマスの完全養殖と育種といった養殖技術のさらなる向上、そしてその価値創造に取り組む山形県遊佐町での陸上養殖についてご紹介しました。
サクラマスの品質や味の良さに加え、安定した供給体制という強みを、丁寧かつ誠実に発信しながら、信頼されるブランドを築いていく――そのゴールに向けて、マルハニチロは着実に歩みを進めています。